自己紹介

自己紹介というのは自分について語るのであれば何でも良いのではないか。


僕は昔から何かを作るのが好きだった。幼い頃は紙をいじって何かの形にしてみたり、粘土で棒人間を作ったりと、ただ思いつくままに手を動かして遊んでいた。それが「物作り」と呼べるほど大げさなものだったかは分からないけど、自分の手で何かを形にしていくのが、とにかく楽しかった。

その興味が本格的に広がり始めたのは、小学生の高学年になった頃だ。パソコンに触れる機会が増えると、「これを自分で作ってみたい」と思うようになった。とはいえ、新品を買ってもらうことなんて到底無理だ。そこで、親の知人や親戚の方々に「古くなったパソコンを捨てる前に僕にください」とお願いして回ることにした。ありがたいことに、いくつかのパソコンを譲ってもらうことができた。

それらを解体し、部品ごとに分類して、一番良いパーツだけを選び出す。最初は「CPU」とか「メモリ」といった用語も何が何だか分からず、とりあえず手当たり次第に試してみるしかなかった。パーツを組み立てても、画面が真っ黒のままだったり、変なエラーが出たりして、何度も失敗した。それでも諦めずにネットで調べたり、同じ趣味を持つ人のブログを読み漁ったりして、少しずつ仕組みを理解していった。

そうして作り上げた最初のパソコンが動いた瞬間の感動は、今でも鮮明に覚えている。「自分の手で組み上げたものが動いている!」という達成感と興奮で胸がいっぱいになった。それがきっかけで、僕はますます「作ること」にのめり込むようになった。

次に興味を持ったのがプログラミングだ。パソコンが動くだけではなく、「自分が作ったプログラムで何かを動かしたい」という気持ちが強くなった。最初は簡単なものから始めたけど、作るたびに新しい発見があり、それがまた楽しかった。中学生の頃には、友人と一緒に簡単なゲームを作ったり、学校の課題を自動化するプログラムを考えたりして、自分のスキルを少しずつ伸ばしていった。

そして、今、僕はブログを運営している。それも、ただブログサービスを使うのではなく、自分でサーバーを立ち上げて動かしている。サーバーを構築する過程では、プログラミングだけでなくネットワークやセキュリティについても学ぶ必要があって、苦労することも多かった。でも、だからこそ一つ一つの問題を乗り越えるたびに成長を実感できるし、やりがいを感じる。

このブログでは、自分が経験したことや試行錯誤の過程を主に書いていこうと思っている。パソコンやプログラミングの話だけではなく、時々は自分の日常についても書くことがあるだろう。それを通じて、誰かが「こんな考え方もあるんだな」とか「自分も挑戦してみようかな」と思ってくれたら嬉しい。ブログを通じて、僕がこれまで学んできたことや感じたことを少しでも共有できたら、それだけで十分だと思っている。

こうしてみると、僕の原点はいつも「作ること」にあるように思う。それは紙や粘土の頃から変わらず、パソコンやプログラム、そして今のブログ運営にまで繋がっている。これからも新しいことに挑戦しながら、「作る楽しさ」を忘れずに進んでいきたいと思っている。


子供の頃から運動が苦手だった。一人称を見ればわかると思うけど、僕は男だ。男として生まれた以上、運動は不可避な、ある意味「必修科目」のようなものだ。特に、小学校では運動が得意かどうかがそのままクラスでの評価や立ち位置に直結していたように思う。体育の時間は、そんな僕にとって苦痛の時間だった。

授業でサッカーや野球をすると、僕の番になるたびに、ボールはなぜか僕の思った通りの方向には飛ばない。目の前のゴールに向かわず、1ラジアンくらいずれた方向に飛んでいくのは日常茶飯事だった。守備の場面でも、飛んできたボールをキャッチできるどころか、グローブの先で跳ね返してしまったり、全く見当違いな動きをしてしまったりする。それを見てクラスの男の子たちは笑い転げる。僕自身も笑うしかないけれど、胸の中にはどうしようもない劣等感がいつも渦巻いていた。

こうして「男の子として失格」とでも言いたげな目で見られる僕は、次第にからかわれる存在になっていった。僕の失敗を見つけるたび、みんなが楽しげに指差して笑うのが、当時の「お約束」になっていた。最初は悔しくてたまらなかったけれど、何度も繰り返されるうちに、悔しさよりも無力感のほうが勝るようになった。僕は男の子たちの輪の中に入ることを諦め、気づけばひとりぽつんと浮いた存在になっていた。

そんな僕に手を差し伸べてくれたのは、女の子たちだった。最初はただの偶然だったと思う。体育の時間や休み時間、クラスの男の子たちと一緒に過ごせない僕は自然と遊んでいるのを日を避けて体育座りで眺めていることが多くなり、そこにいる女の子たちと話す機会が増えていった。彼女たちは僕の話に耳を傾けてくれるだけでなく、僕の不器用な冗談にも笑ってくれた。その雰囲気にどれだけ救われたかわからない。少なくとも、僕が「自分は必要とされているんだ」と感じられる場所ができたのは、彼女たちのおかげだった。

一緒に遊ぶ中で、僕は少しずつ「男の子らしさ」とは違う新しい価値観を見つけ始めた。たとえば、相手の気持ちを丁寧に聞くことの大切さや、誰かの言葉に真剣に向き合うことの温かさだ。彼女たちの間で過ごす時間は、僕にとって心地よく、初めて「自分はこれでいいんだ」と思える瞬間だった。

それでも、周りの目が完全になくなるわけではない。男の子たちからは「女の子にばっかり馴染んでる」と冷やかされることも多かったし、僕自身、少しだけ複雑な気持ちを抱えることもあった。だけど、そこで得た経験は間違いなく僕の中に根付き、今でも僕を支えてくれていると思う。あのとき女の子たちと過ごした時間がなかったら、僕は今ほど人の気持ちに敏感ではいられなかったかもしれないし、誰かを笑顔にする喜びを知ることもなかっただろう。

男の子たちの輪に入れなかった自分を情けないと思う気持ちは、今でもどこかに残っている。けれど、そのおかげで出会えた価値観や人間関係が、僕にとって何より大切なものだということもまた事実だ。それは、運動が苦手で男の子たちの輪に馴染めなかった幼い頃の僕が、今の僕に教えてくれた大切な「贈り物」だと思っている。


運動が苦手で、男の子の輪に馴染めなかった僕が、パソコンに没頭することで得たものは大きかった。ボールが思い通りに飛ばなくても、手の中でパソコンが動き出したときの感動は、僕に「自分にもできることがある」という自信を与えてくれた。一方で、運動の苦手意識や周囲の反応を通じて学んだのは、誰もが同じ得意分野を持っているわけではないということ。そして、それを補い合いながら生きていく大切さだった。

振り返れば、運動が得意でなかったからこそ、パソコンといった工学という新しい世界に足を踏み入れることができたのだと思う。そして、そこでの経験が「失敗しても、試行錯誤を重ねれば道は開ける」という考え方を僕に教えてくれた。それは今でも、どんな問題に直面しても諦めずに向き合うための原動力になっている。

運動場ではできなかったことも、机の上では形にできる。そして、それが誰かの役に立つと知ったとき、僕はようやく「自分のやり方」に気づいた。これからも、得意なことを活かしながら、自分なりの方法で前に進んでいきたい。